一世代、二世代前の日本人は、今よりも慎ましやかで結婚するまでは処女を守る……というイメージが強く、貞操観念が堅かったと思っている人もいるでしょう。
しかし、春画などを見たことがある人ならご存知かもしれませんが、江戸時代まで遡ると、イメージするほど「貞操観念が堅い」ということはなさそうです。
この記事では、江戸時代における庶民の間の性文化や貞操観念をご紹介します。
江戸時代の男女たちのおおらかな貞操観念
実は江戸時代の庶民の男女たちは、意外と性に対して奔放だったようです。最近の日本人はしたいようにしていると感じている人もいるかもしれませんが、実は現代よりももっと奔放だったかもしれません。
まずはそんな江戸時代の男女たちの貞操観念についてご紹介します。
初体験は今より早め
現代日本の男女だと、初体験は10代後半〜20代前半という人が多いでしょう。しかし、江戸時代はもっと早く、男女ともに14歳前後が多かったのだとか。
ただこれは、婚前交渉をする人が多かったというより、そもそも結婚自体が早かったことが大きな要因となっています。
女性は初潮を迎えれば結婚可能とされ、10代後半にもなると行き遅れ扱いされることもあったようです。
当時の平均寿命は32〜44歳と今より何十年も寿命が短かったことを考えると、初体験が14歳前後というのは自然な年齢かもしれません。
不倫やスワッピング、夜這いもしていた
江戸時代、女性の不倫は死罪とされていました。しかも、女性の不倫がバレて、怒った夫が不倫妻を殺してしまっても無罪とのこと。さらには妻の浮気相手を殺してしまってもお咎めなしだったそうです。
それだけ聞くと、女性は性に対して慎ましやかだったのでは?と思ってしまいそうですが、実は男女ともに不倫が大流行していたという説もあるんですよ。死罪になってしまうかもしれないスリルが、不倫愛を燃え上がらせたのかもしれませんね。
また、知人夫婦とパートナーを交換するスワッピングは、よく楽しまれていたそう。スワッピングなら、夫公認なので安心して夫以外の男性と行為に及べたのではないでしょうか。
男性が寝ている女性の元に行きセックスするという夜這いも大流行し、風俗の乱れを懸念した幕府が夜這い禁止の法令も出したほどだったとか。それでも地方の村などでは夜這い文化が生き続け、なんと大正時代あたりまで夜這いが続いた地域もあったそうです。
となりのセックスが丸聞こえでも気にしない
江戸時代の庶民の住む家は、防音性能などはまるでなく、隣の家に生活音や会話が聞こえるのが当たり前でした。つまり、セックスの時の声もお隣さんに聞こえてしまっていたんですね。
そんな状況が当たり前の時代だったのか、お隣さんや外にセックスの時の声が漏れても気にしない夫婦が多かったのだとか。
むしろ隣に聞こえることで興奮したり、逆にお隣さんのセックスを聞いて燃え上がったり……なんてこともあったかもしれませんね。
セックスは最大の娯楽!性生活を楽しむことに必死
現代には暇つぶしの娯楽があふれかえっていますが、江戸時代は今よりも娯楽が少なかったと考えられます。ですから、大人にとってセックスが最大の娯楽となっていたんですね。そのためか、当時は性生活を楽しむことに必死な男女がたくさんいました。
大人のおもちゃ、媚薬、ローションに似たものはこの頃からあり、日常的に使っている人も多かったとか。大人のおもちゃは春画にも出てきます。使い方を指南するような春画も出回っていたようですよ。
興味があれば、春画の画像を検索してみましょう。
セックスにオープンで経験豊富な人はモテた
現代日本では、セックスの経験が多い女性はあまり好まれない傾向にあります。性にオープンすぎる女性も、好まれない傾向にあるでしょう。
しかし江戸時代は今よりも全体的に貞操観念がおおらかだったためか、セックスにオープンで経験豊富な女性は人気を集めてモテていたそうです。
男性が理想のタイプでも、「セックスにオープンな女性」というのがよく挙げられていたのだとか。慎ましやかすぎると、性生活を楽しめなさそうだと思われたのかもしれませんね。
江戸時代の性文化
江戸時代の貞操観念は今よりもオープンな感じだったようですね。
そんな江戸時代では、実際に当時のセックスがどのように行われていたのか、そして性文化の発展度はどんな様子だったのかをご紹介します。
セックスは着衣で行われることが多かった
現代だと、セックスをする時に真っ裸になることも多いでしょう。しかし江戸時代では真っ裸になることはあまりなく、着衣でセックスするのが普通でした。
春画を見ると着物の胸元や股ははだけていますが、男女ともに服を着ている春画が圧倒的に多いですよね。
特に男性は脱がずに下だけ出して行為に及ぶことがほとんどでした。今よりも体への愛撫には時間をかけず、挿入重視のセックスだったようです。
今だと「愛撫が大事」「裸で抱き合いたい」という人もいるでしょうから、江戸時代のセックスはちょっと味気ない気もしますね。
春画やセックスマニュアルなども豊富
江戸時代は春画やセックスマニュアルが豊富でした。
春画は自己処理以外にも性教育の用途として使われ、嫁入り前の娘に春画を持たせるなんてお家もあったようです。
また、充実した性生活を重視する人が多かったためか、セックスを楽しむためのマニュアルも庶民の間で人気を集めていました。
性風俗に関するお店も多かった
江戸時代は性が大人の娯楽の一つだったためか、性風俗に関するお店もとても多かった時代です。代表的なのは女郎屋でしょう。その他にもさまざまな種類の性風俗店がありました。
この時代に、行政の許可を取り性風俗業者が管理していたエリアを「遊郭」といいます。今で言うと、歓楽街に違いイメージでしょうか。
そんな遊郭に実際に存在していた性風俗店について、種類別にいくつかご紹介します。
女郎屋
遊郭と聞くと最初にイメージするのが、この女郎屋でしょう。女郎屋とは、訪れる客に性的サービスを提供するお店のこと。今とは違い、「本番行為NG」という法律はなかった時代ですから、当然本番行為も行われていました。
この女郎屋で働くのが、女郎(遊女)や花魁です。花魁は女郎の中でも最高級の女性のことを指します。また、遊女と女郎は女郎の方が新しい言葉ですが、同じ意味を持ち、違いはありません。
局見世(つぼねみせ)
局見世(つぼねみせ)は庶民でも手が届く女郎屋といった様子のお店です。
女郎屋のように性的サービスが提供されていたのですが、そこで働く女性は年齢を重ねた女郎や病気持ちなど、ちょっと事情がある女性が多かったのだとか。また、本格的な女郎屋に比べると、衛生面や設備もお粗末なものだったようです。
とはいえ、庶民でも手が届く範囲ということもあり、なかなか人気があったようですよ。
意和戸(いわと)
意和戸(いわと)とは、ストリップ小屋のことです。女郎屋は高くて難しい……という庶民でも、この意和戸なら奮発すれば楽しむことができたのだとか。
きらびやかな衣装をまとった女性が、少しずつ衣装を脱いでいくのを男性は掛け声を掛けながら楽しむ……そんなお店だったようですよ。
男色文化が栄えた頃も!バイセクシュアルが普通の時代
長い江戸時代の歴史の中では、男色文化が栄えた頃もありました。今よりもゲイセックスやバイセクシュアルが当たり前のように受け入れられていた時代であり、なんと徳川将軍の中でも男色を楽しんでいた将軍がいるんですよ。
将軍たちはそれぞれ子供も残していることから、男性と関係していた将軍たちはバイセクシュアルだったと考えられます。
ちなみにこの時代、性サービスを提供するのは女性だけに限らず、女郎の男性版も普通に存在していました。彼らは色若衆と呼ばれ、彼ら専用のお店もあったようです。
性に奔放だった江戸時代を見習って性生活を楽しんでみよう
今と比べてみると、江戸時代の性文化や貞操観念よりはかなりおおらかでオープンだった様子です。
特に夫婦が性生活を充実させようとしていたことや、ゲイやバイが受け入れられていたという部分は、現代でも見習うべき点かもしれません。
みなさんも、当時のようにとは行かなくても、江戸時代のおおらかさを見習って、セックスをオープンに楽しんでみてはいかがでしょうか。