江戸時代はエロの巣窟だった!エッチな歴史を紐解いてゆく♡大人のおもちゃ事情

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清し顔の舞妓の人形

性について隠しがちな日本人。けれども知っていました?その傾向になったのは、明治維新以降です。その前の江戸では、世界もびっくりな、性に対してOPENな世界が広がっていたことを。数々の書物から浮き彫りになっています。そんな性にお盛んな江戸時代の誰も教えてくれないラブグッズについて、紹介していきます。

江戸時代の大人のおもちゃ

芸者のうなじ

江戸時代は性に放漫だった

江戸時代は性に対して、現代より放漫であったと言われています。庶民の住居は、主に長屋住まいでした。今の建物のように防音もなければ、更に狭い部屋は狭い。同居家族や、近所にエロな声が丸聞こえ状態だったとか。それどころか、狭い長屋でのセックスは窮屈なため、青姦(外でのプレイ)が大流行りしたとのこと。有名なエロの体位、48手が生まれたのもこの時代。また、風呂は混浴だったりと、性教育も春画(今でいうエロ本)で教育をしていたり、性に対してかなり緩い時代であったことが、数々の書物等でも残されています。

葛飾北斎の春画

代表作『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』などで、世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎。90歳で亡くなるまでの間、役者絵・美人画・名所絵・花鳥画、などと並び、多くの春画(エロ画)も残しています。その北斎の春画で有名な「蛸と海女」は200年程前の作品ですが、この時代にこんなぶっ飛んだ絵を描ける感性に驚愕です。しかも、春画のペンネームは「鉄棒ぬらぬら」ネーミングもなんともふざけたセンスです。

葛飾北斎の蛸と海女画

参照元『これが88歳の作品!? 葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる』より

北斎が残した大人のおもちゃ(ラブグッズ)の説明書

葛飾北斎は庶民の暮らしを多く描いてきました。彼にとって、春画もその時代の生活の一部を描いている感覚で、何か抵抗があった訳ではなく至って普通の感覚であったように推測されます。そして、そんな北斎が最後に残した、萬福和合神(まんぷくわごうじん)という、艶本には、魂胆遣曲道具(こんたんやりくりどうぐ)との、江戸時代の大人のおもちゃを写真のない時代に絵で紹介した、いわばラブグッズの説明書までも手がけていました。

魂胆遣曲道具(こんたんやりくりどうぐ)北斎画

魂胆遣曲道具(こんたんやりくりどうぐ)北斎画

江戸のアダルトショップ

3人の踊る芸者絵図

四目屋とは

葛飾北斎が残した、魂胆遣曲道具(こんたんやりくりどうぐ)にあった、江戸時代の大人のおもちゃ。それらを販売していた有名なお店が「四目屋よつめや」という、今でいうアダルトショップです。こちらの日本最古のアダルトショップは薬屋の体で商いをしていたようで、アダルトなおもちゃの他に、長命丸(ちょうめいがん)と言われる性欲剤や、媚薬の一種である、惚薬(ほれぐすり)なども販売していました。

今でいう、通販まで対応

江戸時代は、性に対してオープンだったのですが、今と変わらず、大人のおもちゃの購入には羞恥心があったようです。四目屋はそんなお客様への配慮として、昼でもあえて、店内を薄暗くし、客同士の顔がわからないようにしていたようです。さらに驚くのが、四目屋は大人のおもちゃの、今でいう、通販もしていたのです。目当てのグッズを手紙で送る(注文書みたいなもの)と、後日、中身がわからないようにして(ここもしっかりと配慮)配送していたようで、一連の気配りも含め、今の商いに通ずるものがこの時代に既に確立されていたようです。

顧客はどんな人

この時代のアダルトグッズは海外からの伝来物がおおく、また現代のように量産ができるわけではないので、四目屋に並ぶ、大人のおもちゃは、庶民にはなかなか手に届かない価格であったと思われます。そんな、四目屋の顧客はわりかし身分の高い人達だったと推定され、かの有名な「大奥」は男子禁制であり、将軍様のお手付きになれない女中達も、性のはけ口として、アダルトグッズを購入していたようです。また、四目屋は沢山のチラシを配り、通販事業では、全国各地から顧客を確保していたとのこと。

江戸の代表的な大人のおもちゃ

下からみた番傘

男性器にかぶせて使用する道具 通称「助け舟」

北斎のラブグッズ説明書、魂胆遣曲道具で2点紹介されている、男性器の形に格子状にくり抜かれた道具を鎧形(よろいがた)といいます。その名の通り、武士が鎧を体に身につけるように、男性器にこの道具を被せて使用し、女性の陰部をより刺激する仕様でした。この鎧型は男性器の働きを手助けする物との意味もあり、「助け舟」とも呼ばれていたようです。

なまこの輪・りんの輪

なまこの輪とりんの輪は、使い方が同じで、リング状の形態をした性具です。大きくなる前に、男性器のカリの際(きわ)部分に装着し、勃起後、女性器に挿入すると、女性の陰部にこの輪のイボやおうとつが刺激を与え、快楽へ導くとの道具です。「なまこの輪」はべっ甲や角(ツノ)などが原料で作られ、凹凸のあるゴツゴツとした輪状の物、「りんの輪」は、別名の数珠玉と呼ばれていたようで、草の実、黄金など作られた、玉が連結した輪状の物と使い方は同じでも、呼び名だけではなく、形状も異なる品でした。

張形・互形 現在でいうディルド

魂胆遣曲道具ではいくつか、現代でいうディルドのようなものが描かれている事に気づかれましたか?これは、張型といい、サイズも様々なものがあったようです。また、当時のレズに人気があったとされる、互型。両サイド型ディルドと言いますか、どちらの陰部にも同時に挿入ができる仕様の物です。北斎の絵から見ても、なかなか生々しいものだったことが伺えます。

通話散 現代でいうローション

江戸時代には、通話散(ぬめり藥)と言われる、現代でいう「ローション」までもが存在していました。この時代は男色(男性同士のセックス)も盛んで、主にこういったアナルセックスの場面や、処女の初エッチ(水揚げ)などで使用されていたようです。正規の通話散は黄蜀葵(トロロアオイ)が原料の物、その他、卵や海藻などを使った類似品などがあり、どれも、ヌメヌメした物を乾燥させて固形物にしており、使用の際に、口に含み、トロトロに戻すといった使い方だったそうです。

まだまだあった江戸時代の大人のおもちゃたち

江戸時代には、ほぼ、今のエログッズの原型が存在していたようです。
商売の仕方、サービスまでもがそのまま現代に受け継がれていた事に驚きです。
北斎の他にも名だたる画家たちがこぞって春画を残している辺り、当時の人々にとって「性」は大きな関心ごとであって、欲望に正直であったようです。ここまでで紹介した、江戸時代の大人のおもちゃはあくまで本の一部です。古い文献を辿ればもっとたくさんの、当時流行ったであろう、エログッズを知る事ができます。

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